【神様、僕は気づいてしまった】は、何に気づいたのか?(アルバム感想)

神様、僕は気づいてしまったのジャケット写真
神様、僕は気づいてしまった「神様、僕は気づいてしまった」(2017)

2017年7月26日発売、1stミニアルバム。

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感想

語弊を恐れずに言うと、最初は苦手だった。

背後に大人の力を感じるデビューの仕方。
メジャーデビューするバンドはみんなそうなんだけど、彼らはあまりにも露骨。

amazarashiを想起させるアートワーク。
これは否定できないレベルだと思う。

00年代後半を通ってきたんだろうなと感じる楽曲。
9mmや凛として時雨の影響が見え隠れ。

色々な要素が絡まり、このバンドは好きになれそうにないなと感じていた。
だが、音源をしっかりと聴かずにそう判断してしまうのは、自分に定めたルール「聴かずに語るな」に反する。

ということで、手に取った今回のデビューアルバム。
嫌な部分もあるけど、聴き過ごすことができない音だなと。

多分、私が通ってきた音楽と同じものを聴いてきた人が作った音楽だからかな。

楽曲の話

冒頭に書いたとおり、00年代後半を通ってきたんだなと感じるサウンド。
多くの楽曲のイントロで用いられる、高音のド派手なギターフレーズ。
ハイテンポの楽曲ではこのギターによって疾走感を演出。

若干、くどさを感じるのは否めないが耳に残るのは事実だし、演奏力がなければあれだけのギターは弾けない。

ハイトーンボイスは昨今の流行りではあるが、メロディ自体は歌謡曲のそれ。
サビ頭に耳に残るメロディをしっかりと持ってくる所なんか、ヒット曲を研究しているんだなと感じる。

ボーカル「どこのだれか」の声は、高低幅広い音域で出ているんだけど、高音域は余裕があるというよりも結構ギリギリの音域で歌っている印象。
それが、彼らの曲の切迫感みたいなものを作りだす要因に。

楽曲の端々から感じる00年代後半の雰囲気から、メンバーは20代後半に差し掛かる(差し掛かった)年齢のはず。

ということは、私と同年代。9mmとか時雨、チャットモンチーにべボべ。様々なジャンルが混在した、邦楽ロックの新たな可能性を感じた時代。
そういった時代を通ってきた人達が作った音楽なら、自分の耳に引っ掛かるのは必然。

嫌いになりたくても、嫌いになれないところに、自分の苦手センサーが反応したらしい。

歌詞の話は後ほどしたいと思うけど、「ネガティブな歌詞+計算されたクオリティの高いバンドサウンド」というのが彼らの楽曲の特徴。
内容が人を選ぶアニメとの親和性高そう。
(「ネガティブな」と一括りにしてしまうのは、彼らに怒られる。この話は後ほど。)

この手のタイプの歌詞に、音数の多いバンドサウンドを合わせる手法はやりたがらないバンドが多い。

歌詞を聞かしたいがために、音数を少なくするのが一般的なはず。
そういうアプローチを取らなかったところに、現状のバンドシーンの隙間を狙った彼らの戦略を感じる。

歌詞の話 彼らは何に気づいたのか?

「神様、僕は気づいてしまった」というバンド名。

多くの人が疑問に思うに違いない。

「何に気づいたの?」って。

「神様」=「安易な発想やカテゴライズを擬人化したもの」

人によって違う負の感情を「ネガティブ」などの言葉で、一括りにしてしまうことに対するアンチテーゼとして、このバンド名をつけたということらしい。

なるほど、分かるようで分からないような。
確かに面倒くさいからか知らないけど、何でも括りたがる風潮に嫌気がさすことは自分自身あるけど、このバンド名では真意が伝わりきらないでしょ。

どうしても、「最近流行りの変な名前のバンド」という風にカテゴライズされてしまうような。
それも、あらかじめ予想していて名付けたのかもしれないが。

ここからはアプローチとしては新鮮だなと思った部分。

歌詞の一部に「鬱ロック」に対する否定。
あるいは、そういうジャンルに含めてほしくないという意思を感じる。

失望 独り善がって
セカイ系なシング
ソングライティングとも言えない
粗末他力本願なリリック

「宣戦布告」

敗北を美徳のように歌うミュージシャン
人生は救えないようなストーリーばっか描いていたいようだ

「だから僕は不幸に縋っていました」

これらのフレーズで、頭に数組のバンドが思い浮かぶ。
私が昔から好きなバンドも含め。

ここで歌ってるようなバンドのファンは「信者」って言われるような、熱心なファンが多い。
音楽に「赦し」を求めている層、自分はそこまでにはなれなかったが。
あえて、そこに突っ込んでいくところに彼らの伝えたいことがあるような気がしてならない。

自分の負の感情を歌って、共感してもらう。
悪いことじゃない。

ただ、共感で終わっては何も変わらないよねと。

「神様、僕は気づいてしまった」はそこから、もう一歩を踏み出してほしいんだと思う。

おそらく、メンバー自身も「鬱ロック」と呼ばれるバンドから影響を受けてはいるのだろうが、そういう音楽に共感してるだけじゃダメなんだと文字通り「気づいてしまった」。

もはや音楽に期待はしちゃいない 何も変わりはしなかった

「だから僕は不幸に縋っていました」

「僕はこういう感情だ、それで、あなたはどうなの?」的なコミュニケーション。

一歩踏み出させるという意味では「宣戦布告」だし、現状に別れを告げるという意味では「大人になってゆくんだね」。

ただ、彼らの曲を聴いた全員が変化することに対する諦めが「だから僕は不幸に縋っていました」だと思う。

敗北を歌う人生だった

「僕の手に触れるな」

そういう彼らだからこそ歌える歌。音楽を妄信するなと。

「音楽=神様」じゃないぞと。

早く、気づけよと。

彼らが覆面を被っているのも正体を隠したいからではないらしい。
「表情を見せてしまったら、その人の歌になってしまう」、それを防ぐため。「僕」の歌でもないし、「君」の歌でもない。
あくまで、「歌」は「歌」。
受け取り方は自由だし、聴いてどう思うのか、どう動くのかも自由。

私は彼らの曲を聴いて、この感想を書くという行動を取った、ただそれだけ。
なので、正誤は分からないがご了承を。

最後に

何も考えずに、自分が信じるものだけを信じていればそれは幸せなのかもしれない。

ただ、自分の信じているものが偶像だと知ってしまったときに、どう動くのか。
「神様、僕は気づいてしまった」は音楽という手段を用いて反抗した。

全ての曲が好きかと言われれば、そうじゃないと言わざるを得ないが、一曲一曲のクオリティが高いことは断言できる。
もし、最近ネガティブなことが多いなと思ってる人がいたら、このバンドを聴いてみると良いかもしれない。何か変わるきっかけになるかも。

まずい、また「ネガティブ」という安易な言葉を使ってしまった。

収録曲

1.わたしの命を抉ってみせて
2.宣戦布告
3.CQCQ
4.僕の手に触れるな
5.天罰有れかしと願う
6.大人になってゆくんだね
7.だから僕は不幸に縋っていました

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