ふくろうず「ごめんね」

淡々とした音像はゆっくり流れていく日々のよう。
山ほど、溢れだす「ごめんね」というワードは、あの一言の裏返しだ。
ふくろうず、2010年発表の大名曲。

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あたしたち違う人間になりたかった

「同族嫌悪」って言葉がある。
自分と同じ属性を持つ人間を嫌うこと、自分自身が持つ嫌な部分を持っている人を見ると嫌ってしまうこと。

一方で、「類は友を呼ぶ」という言葉がある。
似通ったもの同士は、自然と集まって仲間になるという。

この一見して、矛盾した二つの言葉。これに、人間が生きていくうえでの難しさを感じる。

気の合う仲間というのは、確かに共通の趣味、特技を持っていることが多い。
自分と似ている人間と一緒に入るのは楽だ。会話も合う。
それゆえ、一緒に過ごす時間が長くなる。
一緒にいる時間が長くなればなるほど、相手のことをたくさん知るようになる。

そうすると、相手の嫌な部分も目についてくるようになる。
いままで、気にしなかったことが気になるようになり、相手を責める。
自分と似ている人間を傷つけるのは容易だ。
自分が傷つく言葉を相手に対して放てばよいのだから。

そうしていくうちに、気付いてしまうことがある。
「これ、あいつも嫌だったんじゃないかな・・・」

ということは、逆も真なりである。
自分が嬉しいと思ったことは、相手も嬉しいと思うはずだ。

日々の些細な出来事の繰り返しで、嬉しくなったり、悲しくなったりする。
そのどちらも、ひっくるめて「思い出」になるんだ。
でも、なんで「ごめんね」って言いたくなるような悲しい思い出ばかりが思いだされるんだろう。

たくさんの「ごめんね」って言いたくなるような思い出以上に、あの一言が言いたくなるような思い出があったはずなのに。

ありがとう

ふくろうず「ごめんね」

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